ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky1840年4月25日-1893年11月25日)は、ロマン派のロシアで最も人気のある作曲家として認識されており、多数の名曲を残しています。
色彩豊かでテンポがよく印象的なメロディはロシア的な作風を持ちながらも西ヨーロッパの交響曲であり、心に響くメロディーや魅惑的なハーモニー、そして高度なドラマ性と華麗で特徴的なオーケストレーションと迫力のあるリズムなどが強い感情を呼び起こすために使われています。
チャイコフスキーの音楽は、ロシアの伝統を取り入れた独自のスタイルにより、受け入れられるまでに時間を要しましたが、後に世界的に高い評価を得ることに成功しました。
特に有名なバレエ曲の「白鳥の湖」や「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」、1812年序曲、歌劇「エフゲニー・オネーギン」などは劇場音楽として現在でも非常に人気のある作品となっています。
チャイコフスキーの作品には6つの交響曲、9つのオペラ、3つのバレエ、5つの組曲、3つのピアノ協奏曲、バイオリン協奏曲、11の序曲(厳密には、3つの序曲と8つの単一楽章プログラムによる管弦楽曲)、4つのカンタータ、20の合唱曲、3つの弦楽四重奏、1つの弦楽六重奏、100以上の歌とピアノ曲があり、時代を超えて世界中の人達を魅了してきました。
チャイコフスキーの生きた時代は音詩のような新しい形式を通して音楽で物語を語ろうとするワーグナーやリストに代表される「進歩派」と、交響曲や協奏曲という伝統的な形式を偶像化したブラームスやドヴォルザークに代表される「保守派」に分かれていた時代でしたが、チャイコフスキーはその「進歩派」と「保守派」の両方の作風の曲を作った数少ない作曲家でもあります。
その中でもチャイコフスキーにとって最も自然なジャンルだったのがバレエ音楽で、その後のバレエ音楽に革新的な影響を与えることになりました。
チャイコフスキーは6歳の時にはロシア語、フランス語、ドイツ語を読むことができたと言います。
ただ、若い時期から音楽に対して天才的な才能を発揮したモーツァルトのような神童ではなく、ピアニストとしても作曲家としても遅咲きでした。
少年期から音楽のレッスンなども受けていましたが、誰も彼の才能を見抜くことができなかったと言います。
音楽が好きでしたが、親の期待を背負い、1859年に法律や数学を学び法務省に事務官として就職しています。
その4年経った後も音楽への思いが強く、好きな音楽の道に進むことになりましたがその後、多くの困難が待ち受けることになります。
チャイコフスキーは14歳の時に母親を亡くしており、少年だったチャイコフスキーにとって大きな喪失感が影響することになります。その後、晩年まで様々な神経症に悩まされ、深刻な鬱状態になってしまった時期もありました。
同性愛者(当時のロシアでは死刑に値するものであった)ということも精神的に大きな苦痛を生んだ原因とも考えられています。
そういった深い心の奥底の部分を感じてきたチャイコフスキーだからこそ、美しい曲調の中に抒情的で物思いに沈むような音楽と共に男性的で劇的な音楽を作出することができたのでしょう。
天才のイメージが強いチャイコフスキーですが、大変な困難を乗り越えながら偉大な作曲家となったのです。
チャイコフスキーの解説動画(チャイコフスキーとロシア!ロシアの大作曲家チャイコフスキーの生涯と魅力を紹介!交響曲第4番、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第6番「悲愴」他。)
チャイコフスキーの代表曲
チャイコフスキーの代表曲には非常に抒情的なメロディーラインと芸術的な魅力があります。
作品には繊細なハーモニーや強力なリズムを用いて、多くの旋律や非常に複雑な展開を持っており、多くの人々を魅了しています。
作品の中でも特に有名なといえば、3大バレエ音楽「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」です。これらの作品はチャイコフスキーが作曲家として完成させた大作で、時代を超えて愛され続けています。他にも有名な曲として「ピアノ協奏曲第1番変ロ短調」や「弦楽セレナードハ長調」などがあります。これらの曲はチャイコフスキーの独特な個性を表現したもので、非常にメロディアスでありながらもどこかもの悲しさが漂い、非常に抒情的です。
これらの曲は非常に繊細で力強いハーモニーとリズムを用いているため、映画や舞台の作品にもよく使われており、クラシック音楽の代表的な存在として今なお多くの人々に愛され続けています。
チャイコフスキーの代表曲一覧
歌劇 | ・「ウンディーナ」 ・「エフゲニー・オネーギン」作品24 ・「オルレアンの少女」 ・「イオランタ」作品69 |
交響曲 | ・交響曲第1番 ト短調 作品13「冬の日の幻想」 ・交響曲第2番 ハ短調 作品17「小ロシア」 ・交響曲第3番 ニ長調 作品29「ポーランド」 ・交響曲第4番 ヘ短調 作品36 ・マンフレッド交響曲 作品58 ・交響曲第5番 ホ短調 作品64 ・交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴(Pathétique) |
協奏的作品(独奏と管弦楽のための作品) | ・ピアノ協奏曲第1番 変ロ短調 作品23 ・憂鬱なセレナード(ヴァイオリンと管弦楽のための)作品26 ・ロココの主題による変奏曲(チェロと管弦楽のための)イ長調 作品33 ・ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 |
バレエ音楽 | ・「白鳥の湖」作品20 ・「眠れる森の美女」作品66 ・「くるみ割り人形」作品71 |
その他の管弦楽曲 | ・幻想序曲「ロメオとジュリエット」 ・幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 作品32 ・イタリア奇想曲 作品45 ・スラヴ行進曲 作品31 ・序曲「ハムレット」 作品67a ・序曲「1812年」 作品49 ・弦楽セレナーデ ハ長調 作品48 ・バレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a |
室内楽曲 | ・ピアノ三重奏曲 イ短調 「偉大な芸術家の思い出のために」 作品50 ・弦楽四重奏曲第1番 ニ長調 作品11 ・「なつかしい土地の思い出」 作品42 |
ピアノ曲 | ・ピアノソナタ 嬰ハ短調 作品80 ・四季 |
ここでご紹介するチャイコフスキーの名曲10選はおこがましくも管理人の独断と偏見によりセレクトしています。ご理解の上、お楽しみください。
※順不同
チャイコフスキーの名曲10選
チャイコフスキーの名曲1 バレエ「白鳥の湖」作品20
Swan Lake, Op 20
白鳥の湖 作品20は「3大バレエ」のひとつとして知られており、現在でも非常に人気のあるバレエ音楽です。
日本では特に知名度があり、バレエの音楽と言えば「白鳥の湖」と答える人も多いのではないでしょうか。
この曲はチャイコフスキーが1875年から1876年にかけて作曲をし、1877年に初演しましたが、当初は現在の評価とは異なり、あまり良い評価を得られていませんでした。
チャイコフスキーの没後の1895年に振付家のマリウス・プティパとレフ・イワノフが台本や音楽の一部、振り付けを改修して大きな成功をおさめるようになりました。
おとぎ話の悲劇的瞬間と祝祭の踊りのシーンは魅力的です。
原版では最終的に湖に身を投げるという切ないシーンとなりますが、現在ではオデットの呪いが解け、ハッピーエンドとなるお話となっています。
白鳥の湖の構成
1.情景(第2幕)
2.ワルツ(第1幕)
3.小さな白鳥たちの踊り(第2幕)
4.情景(第2幕)
5.ハンガリーの踊り(第3幕)
6.情景・終曲(第4幕)
チャイコフスキーの名曲2 バレエ「眠れる森の美女」作品66
The Sleeping Beauty
チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」は色々な種類やパターンがあり、日本で有名なグリム童話版では邪悪な妖精カラボスによって100年間も眠らされ、その果てに白馬の王子の口づけによって眠りから覚めたことにより結婚・ハッピーエンドとなる古典童話からのストーリーを題材としたバレエ音楽です。
「眠れる森の美女」はバレエの中でも全編で3時間もある大作で、チャイコフスキーがいかに力を入れて作曲したのかが伺えます。
当時チャイコフスキーはバレエ曲は唯一失敗に終わっていた「白鳥の湖」のみだったため、サンクトペテルブルクの帝国劇場の館長イワン・ヴセヴォロフスキーから、ウンディーネの物語を題材にしたバレエ音楽の作曲の依頼を快く受けたといいます。
この曲はチャイコフスキーの作品である「3大バレエ」曲のうちの2番目にあたり、1889年に完成しました。白鳥の湖よりも好評を得ることに成功しましたが、ほどなく1893年にチャイコフスキーはこの世を去りました。
現在も多くのバレエ団が上演しているこの作品は、ディズニーの映画やミュージカルとしても人気を博しています。
チャイコフスキーの名曲3 バレエ「くるみ割り人形」作品71
The Nutcracker
バレエ「くるみ割り人形」は、E・T・A・ホフマンの「くるみ割り人形とネズミの王さま」を原作とした台本により、マリウス・プティパとレフ・イワーノフの振付、チャイコフスキーのバレエ音楽によりつくられた全2幕のバレエです。チャイコフスキーの「3大バレエ」のうちの3作目となり、最後の作品となりました。
クリスマスイブに命を吹き込まれたくるみ割り人形とくるみ割り人形の王子を夢見たドイツ人の少女が、7つの頭を持つ悪のネズミの王と戦いを繰り広げるファンタジー作品で、現在までに様々なバージョンが作られています。
チャイコフスキーは1890年代に芸術的表現の新しい可能性を探るため、バレエ音楽に取り組んでいましたが、その中でこの「くるみ割り人形」をとりあげ、これを音楽的表現に乗せることを試みました。
チャイコフスキーが作曲した「くるみ割り人形」は、オープニングから本編、終曲まで複雑な構成をしており、様々な音楽的表現で展開しています。特に主人公のくるみ割り人形たちを描写するために、半音上げ、半音下げといった音楽的技法を使って子供の幼い様子を表現しています。
また、主人公以外のキャラクターの表現についても彼らの特徴を表現するために特定の音色を使ったり、旋律を特定のリズムで表現しています。
チャイコフスキーの「くるみ割り人形」は、今もなお多くの人々に愛されていますが、子供達の幼い性格を表現するために音楽的表現を非常に細かく行っていることが大きな理由となっています。
また、その音楽が童話の情景を表現するかのような非常に彩り豊かな音楽となっていることも多くの人々に愛される理由となっています。
チャイコフスキーの名曲4 交響曲第4番
SYMPHONY NO. 4
チャイコフスキーの交響曲第4番ヘ短調作品36は1877年から1878年にかけて書かれた作品で、チャイコフスキーが作曲した交響曲の中でも最もチャイコフスキーの心情が表現された曲です。
チャイコフスキーの熱烈なファンであったナデージダ・フォン・メック夫人というロシア初の鉄道王の未亡人からの手紙がきっかけとなり、多額の支援金をもらえるようになりました。
チャイコフスキーはアントニーナ・ミリューコヴァという女性に押し切られた形で結婚しましたが結婚生活は上手くいかず、20日ほどで別居して再び同居することになりますが、ほどなくチャイコフスキーは精神的に追い詰められ、モスクワ川で自殺未遂まで起こします。
メック夫人の支援のおかげで回復したチャイコフスキーは交友関係となった夫人に「私の親友」と表し、心からのお礼として新交響曲であるこの交響曲第4番を献呈しました。
チャイコフスキーの名曲5 交響曲第5番
SYMPHONY NO. 5
チャイコフスキーの交響曲第5番は、チャイコフスキーの最も有名な作品の一つです。1888年に作曲・完成したこの作品は心の動きを表わした複雑な曲式を持ち、哀愁を帯びたメロディーが特徴的です。
同年の11月17日にサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場でチャイコフスキーの指揮で初演されました。
チャイコフスキーは当時のロシア社会における政治的・社会的・文化的な状況を反映した楽曲を作成したと考えられています。
まず、楽曲の冒頭部分からチャイコフスキーの重厚な音楽的表現が見られます。
この荘厳なイントロダクションはチャイコフスキーの独特な歌曲形式を表しており、その後主題のメロディーが繰り返し提示されて劇的な展開を示します。また、楽曲の中では複雑な音楽的色彩と変奏を混ぜ合わせたチャイコフスキーならではの独創的な作風が確認できます。
交響曲第4番と同様、主旋律を繰り返す循環形式の交響曲となりますが、前作のマンフレッド交響曲と同様に主題が4楽章全てに用いられています。
チャイコフスキーは、自身の生涯を通して複雑な政治的状況の中で苦しんだことを反映した作品を作曲していますが、交響曲第5番はその一つとして政治的不安から解放される望みを表現しているのではないかと解釈されています。また、最後の楽章ではチャイコフスキーがロシア社会に対する希望を描写し、革命的な展開を表現したとも考えられています。
チャイコフスキーの交響曲第5番は深い意味を表現した多層的な楽曲であり、その複雑な曲式は今日でも多くの作曲家達が強い影響を受けています。
チャイコフスキーの名曲6 交響曲第6番《悲愴》
Tchaikovsky Symphony No. 6 “Pathétique”
交響曲第6番ロ短調 作品74はチャイコフスキーが作曲した6番目の交響曲で悲愴交響曲とも呼ばれ、
1893年2月から8月末にかけて書き上げた最後の交響曲です。
この交響曲の初演は、この年の10月28日にサンクトペテルブルクでチャイコフスキー自ら初演を指揮しました。
交響曲第6番はチャイコフスキーの遺作となり、初演から9日後に亡くなりました。
チャイコフスキーはこの曲を「情熱の交響曲」と呼びましたが、死後、フランス語で誤訳されて「悲愴」と呼ばれるようになったという説と、弟のモデストが「悲劇的」という表題を提案した説もあり、チャイコフスキー自身がこの曲の題名を「悲愴」と命名したという説があります。
チャイコフスキーの名曲7 弦楽セレナードハ長調
Serenade for Strings
チャイコフスキーの「弦楽セレナードハ長調」は崇拝するモーツァルトを意識して作曲されたと言われており、曲の構成やタイトルなどもモーツァルトのセレナードから着想を得ています。
古典的な4楽章構成でソナタ形式の第1楽章「ソナチネ」で始まり、ゆっくりとした序奏と充実した展開を持っています。
第2楽章は優雅なワルツです。
第3楽章は「エレジー」と題され、チャイコフスキーが得意とする直接的で感情的、かつ極めて叙情的な文章が書かれています。
最終楽章はロシア民謡に基づくゆったりとした始まりから、ロシア民謡の舞曲で非常に速いテンポで盛り上がるフィナーレとなります。
チャイコフスキーの名曲8 大序曲「1812年」
1812年序曲は1812年にナポレオンの大軍がロシアに侵攻し侵略しようとしますが、奇跡的にロシアが防衛をしたことを記念してピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが1880年に作曲した変ホ長調の演奏会用序曲です。
ナポレオンの軍とロシアの戦いの流れをこの曲は巧に表しています。
ヴィオラ2台とチェロ4台のみでロシア正教讃美歌「主よ、汝の民を救いなさい」をより柔らかに表現し、ロシアの民衆の祈りを表しています。
だんだんとフランス軍の侵攻に不安と苦しみが表現され、しばらくするとナポレオン軍の進撃を表す「ラ・マルセイエーズ(フランスの国歌)」が聞こえます。
なんども「ラ・マルセイエーズ」が流れ、ロシア軍の敗色が濃厚な雰囲気が表現されます。
またそれはだんだん強くなり、やがてロシア民謡の旋律と対位して両軍の戦いの様子が聞こえてきます。
この破壊的な衝突はフランス側と思われる5つの大砲の音で表現されます。
フランス軍がモスクワを占領して成す術もなくなると思われた時、冬の嵐が吹き流れが変わります。
とうとうロシア軍が集結してフランス軍を打ち破るのです。
讃美歌が流れ祝砲がなり、モスクワの鐘が鳴り響き一体となったオーケストラが盛大に勝利を祝います。
この盛大な序曲はチャイコフスキーの代表的が「3大バレエ音楽」と並び、大変評価の高い曲となっています。
【名曲解説動画】チャイコフスキー:序曲「1812年」!戦争の影響で演奏中止が相次ぐこの名曲はいったいどんな曲なのか?この曲はロシアの勝利を表した曲なのか?
チャイコフスキーの名曲9 ヴァイオリン協奏曲ニ長調
Violin Concerto in D major, Op. 35
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35はピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが1878年に作曲した唯一のヴァイオリンのための協奏曲で、協奏曲の中でも傑出していると評価の高い作品です。
チャイコフスキーはことバレエ音楽や管弦楽曲に関しては他に追随を許さないほどの作品を作出していましたが、協奏曲というジャンルでは上手く表現ができなかったと言われます。
特に初演時には曲に対して理解不能な批判家に酷評されてしまったことがあります。
ガラスのように繊細な心を持っていたチャイコフスキーは困難を極めた結婚や厳しいロシア皇帝時代に同性愛者としての事実上の二重生活を考えると、この時、精神的にも厳しいものであったことでしょう。
叙情的な作曲家であったチャイコフスキーは個人と多数を戦わせるような力強く劇的な作品を書くことができなかったという指摘もありましたが、このヴァイオリン協奏曲ニ長調は歴史に残る名曲の仲間入りをしています。
チャイコフスキーの名曲10 ピアノ協奏曲第1番変ロ短調
ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23はピョートル・イリイチ・チャイコフスキーが1874年11月から1875年2月にかけて作曲したピアノとオーケストラのための協奏曲です。
ピアノを苦手としていたチャイコフスキーはこの曲をモスクワ音楽院院長のニコライ・ルービンシュタインに献呈しようとしていましたが、ルービンシュタインはこの作品に対して技術的な変更をしない限り演奏はしないと拒みましたが、チャイコフスキーは断固、改定を断りました。
そこで、ドイツの名ピアニスト、ハンス・フォン・ビューローに捧げると、ビューローはこの曲を称賛し演奏することになりました。アメリカ公演で大成功を収め、ヨーロッパでも大成功しました。
この大成功にルービンシュタインも前の酷評を撤回し、モスクワ初演の指揮を引き受けただけでなく、この協奏曲を自分のレパートリーとして定着させました。
チャイコフスキーの名曲はとても美しく、どこかもの悲しくなる曲調が多い気がしますが、耳に残りやすいキャッチーなメロディが多いので、クラシックの初心者の方にもお勧めです。
個人的に「ピアノ協奏曲第1番変ロ短調」は思い出があるので、大好きな曲です。
小さい時からクラシックは自然と耳に残っているのですね。
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