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ムソルグスキーの名曲・代表曲

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ムソルグスキー

ムソルグスキー

ムソルグスキー(モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキー 1839~1881年)は、19世紀のロシアの作曲家として知られている人物で、ロシアの巨匠たちによって構成されていたロシア五人組(The Five)の1人です。

ロマン派時代のロシア音楽を次の時代へ導いた革新的な作曲をした人物として知られており、現代でも多くの楽曲が知られています。

同氏の楽曲は驚くほど斬新である一方で、文体的にはロマンティックであり、ロシア音楽のテーマを大きく描いているのが特徴です。

ムソルグスキーの作品風は他のロマン派作曲家とは異なり、独自の音楽的な雰囲気を持っています。その音楽は民間音楽やロシアの伝統的な要素を取り入れているため、豊かな旋律と劇的な展開が見られます。

感情的な表現力にも富み、時には哀愁を漂わせた独特な雰囲気はムソルグスキーでしかできない世界観を作り上げています。

その高い音楽性はストラヴィンスキーラフマニノフショスタコーヴィチやセルゲイ・プロコフィエフなど、多くのロシアの作曲家に影響を与えました。

モデスト・ムソルグスキーの音楽は、その創造性と独自性として称賛され、ロシア音楽史上不朽の存在となっています。その作品群は今日でも広く演奏され、音楽愛好家や専門家によって高く評価されています。

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ムソルグスキーの生涯

ムソルグスキーはサンクトペテルブルクから南へ400kmのところにあるロシア帝国プスコフ県のカレヴォで生まれました。

地方の貴族として知られ地主階級の家に生まれたムソルグスキーは、同じく貴族出身の母、ジュリア・チリコワから6歳の頃よりピアノの手ほどきを受けます。

当時からムソルグスキーは才能を発揮し、わずか9歳にして家族や友人のためにジョン・フィールド協奏曲やフランツ・リストの作品を演奏していたそうです。

地主階級であり、裕福な家庭で育ったムソルグスキーは10歳のときサンクトペテルブルクのエリート養成機関ペトリシューレ(ペトロパヴロフスク学校)に入学します。

その後、本人の希望もあり士官候補生として13歳で近衛士官候補生学校に入学していましたが、その厳しさから19歳の頃には軍務を退役しました。

この間もダルゴムイシスキー、スターソフ、バラキレフ、キュイといったロシア文化人のとの交流、音楽の手ほどきも受けており、バラキレフ(のちのロシア5人組のリーダー)に師事してベートーヴェンなどのドイツ音楽を学んでいます。

軍を退役したムソルグスキーは、音楽活動に専念し演劇の付随音楽などの制作をします。

このような活躍をしていたムソルグスキーですが、22歳の頃に農奴解放令によって実家が財産の半分を剥奪されて没落してしまうのです。

実家を支えるために故郷のカレヴォへ戻ったムソルグスキーは、そこで独学による音楽の勉強をすることになりましたが、同時に師匠のバラキレフの影響から解放されるための機会としても働き、歌劇「サランボー (Salammbô) 」に取り組むことになりました。

26歳の頃、母を失った頃からムソルグスキーは徐々に私生活が乱れ始めアルコール依存症の兆候がみられるようになります。

それでも、作曲活動を継続し翌年には初めて自力で出版された歌曲「ゴパーク」と「愛しいサーヴィシナ」を発表しました。

さらにムソルグスキーの代表作の一つである「禿山の一夜」もこのころ完成します。

なお、ムソルグスキーは師匠のバラキレフからこの曲の批判を受けたため、バラキレフの存命中には上演されなかったようです。

ここまで、かろうじて文官として勤務していたものの、28歳にして余剰人員と宣告されて無報酬で出勤しているという状態になります。

しかし、音楽家としてのキャリアが飛躍するタイミングでもありました。

積極的な音楽活動をしていたムソルグスキーは、同年もともと面識のあったロシアの音楽批評の権威であったスターソフから「5人組」の1人として名前を挙げられたのです。

さらにロシアのオペラ作曲家のダルゴムイシスキーと接近し、音楽活動をさらに本格化していきました。

ダルゴムイシスキーが作曲していたプーシキンの原作歌劇「石の客」に影響を受け、ゴーゴリ原作の「結婚」に着手します(のちに放棄)。

その後、オペラのための作曲を志向し、オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」(プリマドンナ役がなかったために上演拒否)、続いて「五人組」の合作オペラ「ムラーダ」では「禿山の一夜」を合唱版として作り直します。

さらに歌劇「ホヴァーンシチナ」にも着手するなど、オペラの作曲で頭角を表していきました。

この勢いによって、当初上演困難だったボリス・ゴドゥノフも上演され、批評家からは酷評されたものの、聴衆には好評となるなど、作曲家としてのキャリアを順調に進み始めます。

しかし、ムソルグスキーはアルコール依存症によって徐々に体がむしばまれはじめ、狂気的なふるまいも徐々に目立つようになり、作曲活動も停滞し始めました。

このような中でも身近な人々の死に際して「死の歌と踊り」を作曲し、同時期には「陽の光もなく」、「モスクワ河の夜明け」(「ホヴァーンシチナ」前奏曲)も書き上げました。

さらにムソルグスキーの代表作「展覧会の絵」もついに生み出すに至ったのです。

なお、公務員としての公務も休みがちであったものの続けており、音楽に理解のあった内務省の部署へ転勤となった際は、演奏旅行の許可もされていました。

病気がちながらも精力的に音楽活動を続けていましたが、サンクトペテルブルクに転勤となると、その地でアルコール依存症が悪化し、ついに40歳で公務員の地位を追われることになったのです。

当時定期的な収入があったものの、その収入を立たれたため経済的に困窮、作曲活動すらできなくなりました。

周囲の支援「ホヴァーンシチナ」の完成まであとわずかでしたが、1881年に心臓発作を4回繰り返し、42歳で死去します。

美術の教科書などに掲載されているイリヤ・レーピンによって描かれた肖像画は、死の4日前のものだといわれており、それがくしくも遺影のような存在となってしまいました。

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ムソルグスキーと展覧会の絵!ロシアの作曲家ムソルグスキーの生涯と名曲!展覧会の絵とラヴェル編とピアノ版を聴き比べ!

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ムソルグスキーの名盤CD

・ムソルグスキー:展覧会の絵 他(生産限定盤)

ソヴィエト連邦出身のピアニスト、ヴラディーミル・アシュケナージの85歳を記念して生産された限定盤です。

同氏は2020年にコンサート活動から引退していますが、それ以前に収録されたディスクは不定期で発売されています。

アシュケナージは、ムソルグスキーの楽曲にも積極的に携わってきた過去があり、ピアノで2度、指揮者として自らの編曲版を1度録音していることからムソルグスキーの展覧会の絵を中心とした収録をしています。

1967年に収録し、若々しい演奏を感じられる一枚です。

・サイモン・ラトル指揮:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団「展覧会の絵」

2枚目は、2007年に名指揮者、サイモン・ラトルとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が演奏したライブ盤です。

ベルリンフィルとムソルグスキーといえば、カラヤンも同様の録音を行っていますが、ラトルは自然な音楽の運びを感じさせる1枚に仕上げています。

・ワレリー・ゲルギエフ指揮:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団「展覧会の絵/禿山の一夜」、他

最後は、ゲルギエフの楽曲をワレリー・ゲルギエフの指揮によってウィーン・フィルは演奏し、録音された一枚です。

ウィーン・フィルらしい優雅で洗練された響きを感じつつも、ムソルグスキーの荒々しさをゲルギエフがしっかりと表現しているのが特徴です。

荒々しさと優雅さを融合させた名盤といえるでしょう。

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ムソルグスキーの名曲・代表曲

ムソルグスキーの名曲や代表曲の特徴としてロシアの民俗音楽に強い興味を持っていたたことにより、それらの作品にはロシアの民俗音楽の要素が多く取り入れられており、その要素をクラシック音楽の中に取り入れたことがあげられます。
そのため、ロシア的なメロディーやリズムが垣間見えます。

ピアノ作品にも優れた作曲家として知られており、独特な楽曲構成やピアノの表現力を最大限に活用しています。特に美術館の絵画を音楽で表現しようとした「展覧会の絵」で知られています。

ムソルグスキーの音楽は頻繁にリアリズムと情熱に満ちているため、それらの作品は感情を率直に表現し、ロシアの歴史や文化に深くこだわったテーマを取り上げながら聴衆に強い感情的な共感を呼び起こす力を持っています。その理由の一つとして不協和音や独特の和音進行を多用したり、時には奇抜で荒々楽しい音楽など、伝統的なハーモニーの規則に囚われずに斬新なハーモニーを取り入れていたことがあげられます。

また、多くのオペラや合唱曲も作曲しており、最も有名なのは『ボリス・ゴドノフ』(Boris Godunov)です。
この歌劇はロシアの歴史上重要な人物であるボリス・ゴドゥノフの物語を描いたもので、劇的な音楽と深い人物描写が特徴です。

ムソルグスキーの音楽は、彼自身の個性とロシア文化への愛情が色濃く表れており、ロマン派音楽の中でも独自の存在感を持っています。
そのリアリズム、情熱、民間音楽への傾きは、彼の作品を不朽のものとし、今日でも多くの音楽愛好家に愛されています。

管弦楽曲    組曲「展覧会の絵」 管弦楽版                       
交響詩「禿山の一夜」
ピアノ曲組曲「展覧会の絵」ピアノ版
オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」」
「ホヴァーンシチナ」
歌曲死の歌と踊り
蚤の歌

名曲1 組曲『展覧会の絵」

『展覧会の絵』は20世紀初頭のロシアの作曲家であるモデスト・ムソルグスキーによって作曲された楽曲で、具体的にはフランスの画家ヴィクトル・ハルトマンの展覧会で展示された絵画作品を大切にしており、その絵画の内容や雰囲気を表現しています。

この曲は様々な楽曲から構成されており、各楽曲はハルトマンの絵画作品に対応しています。
例えば、「幕開け」では展覧会の開場をイメージし、荘厳なオーケストラの響きによって「ゴーリキーの広場」では、喧騒の街の賑わいや人々の喧騒が感じられるように、リズミカルな音楽が用いられています。

この作品は、ムソルグスキーの独特な作曲スタイルや表現力を示すものでもあります。 彼は音楽によって情景やイメージを向き、聴衆に強い印象を考えることを追求しました。多彩な楽曲で構成されており、聴く人に絵画の世界を感じさせる効果的な作曲手法が注目されています。

『展覧会の絵』は、ムソルグスキーの後に他の作曲家たちによって編曲され、様々な演奏形態で広く知られるようになりました。 特にフランスの作曲家モーリス・ラヴェルによる編曲は、オリジナルの作品と同等に称賛されています。

この作品は、視覚芸術と音楽の融合という点で革新的であり、後の作曲家たちに多大な影響を与えました。また、ムソルグスキー自身の才能と芸術的な表現力を象徴する作品として、音楽史上でも重要な位置を占めています。

『展覧会の絵』はムソルグスキーの優れた作曲能力と視覚芸術への深い関心が結実した作品であり、音楽と絵画の相互作用を楽しむ上で貴重な存在です。作曲技術の巧さによって、多くの聴衆を魅了し続けています。

ムソルグスキー - 組曲《展覧会の絵》(ラヴェル編曲) ゲルギエフ ウィーンフィル 2000

名曲2 交響詩「禿山の一夜」

ムソルグスキーの交響詩「禿山の一夜」は彼の最も有名な作品の一つで、ロシアの音楽史においても重要な位置を占めています。

「禿山一夜」は1866年から1867年ごろにかけて作曲されましたが、彼の生前には未完成のままであり、彼の友人であるニコライ・リムスキー=コルサコフと他の作曲家によって補筆されました。また、この作品はロシアの伝説や風俗をテーマにしており、ロシア民謡からの影響が強く表れています。

物語は聖ヨハネ祭の前夜に禿山という村で、悪魔チェルノボグが魔物やゴースト、精霊たちと共に現れ、大騒ぎをするという魔法の夜がやってくるというファンタジー要素が含まれています。
大悪魔が舞い降りてくる重苦しい雰囲気、現れる時の迫力は他では味わえないほど優れており、強い特徴が見られます。
この陰鬱で神秘的な雰囲気をもよく表現しており、民謡の旋律やリズム、ロシアの風景を描写するための特徴的なオーケストレーションがより効果的に効いています。

ムソルグスキーは、ロシアの音楽における民族主義運動の一翼を担い、他のロシアの作曲家たちとともにロシア音楽の黄金時代を過ごした一人で、ロシアの民間伝承や風俗を称賛し、ロシアの音楽文化の一部としての認知を強調しています。

「禿山一夜」は、ムソルグスキーの他の作品と同様に、彼の個性的で情熱的な作曲スタイルを示しており、その後の作曲家たちに多大な影響を与えました。
ドビュツシーショスタコーヴィチなどの20世紀のロシアの作曲家たちに影響を与えた作品とされています。

この交響詩は、ロシア音楽の愛好家や音楽家にとって永遠の名作として、今日でも継続的に支持されています。その力強い感情豊かな音楽は、禿山の神秘的な世界を見事に描写し、聴衆を魅了し続けています。

ムソルグスキー:交響詩 《はげ山の一夜》

名曲3 オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」

オペラ「ボリス・ゴドゥノフ」は、彼の最も有名で重要な作品の一つであり、ロシア音楽の歴史における重要な位置を占めています。このオペラは、ロシアの作家アレクサンドル・プーシキンの史劇「ボリス・ゴドゥノフ」を基にしています。

ムソルグスキーは、ロシアの民俗音楽や国民的要素を取り入れたものが多く、「ボリス・ゴドゥノフ」を制作する際にもロシアの伝統と歴史に深い関心を寄せ、その影響を作品に反映させています。

「ボリス・ゴドゥノフ」は、16世紀のロシアを舞台に、簒奪者でもあるボリス・ゴドゥノフというツァーリ(皇帝)の政権と破滅への転落など彼の内面の葛藤を描いており、その物語は政治的陰謀、宗教的な要素、個人的な苦悩などを含み、登場人物の複雑な心情が音楽を通じて表現されています。

また、ロシアの歴史と政治的状況に触れることから、社会的・政治的な意味も持っており、ムソルグスキーはロシアの民衆の視点からツァーリ「王」の姿を描き、国内の不平等や不満を浮き彫りにしました。

この曲は、合唱曲を多用しながらロシアの歴史と宗教の要素を強調しており、ムソルグスキー独自の音楽的スタイルを反映をさせることでロシアの民俗音楽からのインスパイアをオペラ全体に取り込み、ロシアらしい響きを持たせました。

この「ボリス・ゴドゥノフ」はムソルグスキーの死後に完成され、初演されました。
この作品はロシア音楽史において重要な位置を占め、後のロシアの作曲家たちに影響を与えたロシア音楽の傑作であり、ムソルグスキーの芸術的成熟と国民性を象徴する作品で国際的にも高く評価されている世界中で愛されている作品です。
その深い音楽性と力強いストーリーテリングは、今日でも音楽愛好家やオペラファンに魅力を提供し続けています。

BORIS GODUNOV – Nesterenko, Arkhipova – Bolshoi, 1978, English subtitles, Годунов, Большой

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