レナード・バーンスタイン
レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein 1918~1990年)は、ユダヤ系のアメリカ人指揮者、作曲家です。
ヨーロッパで絶対的な地位を気づいた名指揮者である、ヘルベルト・フォン・カラヤンやゲオルク・ショルティとも渡り合い、20世紀における著名な指揮者としても知られています。
また、国際的な賞賛「7つのエミー賞、2つのトニー賞、生涯功労賞を含む16のグラミー賞、ケネディセンター栄誉賞を含む多くの栄誉」を受けた最初のアメリカ人指揮者であり、「アメリカ史上最も天才的な才能を持ち、成功した音楽家の一人」と言われています。
指揮者としても高い評価を得つつ、自身でも作曲活動を行い3つの交響曲を遺しました。
そんなレナード・バーンスタインの生涯と名曲・名盤CDをご紹介します。
レナード・バーンスタインの生涯
レナード・バーンスタインは、1918年にウクライナ系ユダヤ人移民の2世として、マサチューセッツ州ローレンスで生まれました。
実家は美容用品のサプライヤーカンパニーとして成功を収めており、大恐慌でも堅実な経営をするなど裕福な家庭に育ちました。
そんなレナード・バーンスタインが音楽に目覚めるきっかけとなったのは10歳の時、叔母のクララがアップライトピアノを家に預けたことがきっかけになったそうです。
さらに独学で音楽を学び、音楽に反対する両親からレッスンを拒否されても近所の若者からレッスンをこっそり受けるなど情熱的に知識や技術を吸収していきます。
根負けした両親は、彼を支援するようになり、14歳になるころにはボストン ポップス オーケストラとの最初のオーケストラ コンサートに参加しました。
このように徐々に音楽の道に進み始めたバーンスタインは、17歳になるとハーバード大学に入学し、音楽を学びます。
当時、アメリカの指揮者として有名であったディミトリ・ミトロプーロスに指揮者を薦められ、エドワード・バーリンゲーム・ヒルやウォルター・ピストンらに師事し、さらに卒業後フィラデルフィアのカーティス音楽院に入学して、フリッツ・ライナーに指揮の師事を受けることになります。
そして、22歳にしてタングルウッド音楽センターでさらに指揮を学ぶもののなかなか仕事は得られませんでしたが、1943年にようやく名門ニューヨーク・フィルハーモニックの「副指揮者」に就任しました。
1944年、大指揮者であったブルーノ・ワルターの代役としてニューヨーク・フィルハーモニックで指揮者としてデビューを果たすことになりますが、その公演で大成功し、そのままスターダムへと進んでいくことになります。
その後もいかんなく実力を発揮し、1946年、プラハでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団と共演して海外デビュー、また、自身のルーツであるユダヤ系の国家で生まれたイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団とも共演し、生涯にわたって指揮を担当するにいたります。
1949年にはテレビ出演を果たし知名度は全米レベルにもなりました。
そして、クラシックの垣根を超えてブロードウェイの舞台のために5つの新作を制作するようにもなります。
ウエスト・サイド・ストーリーも彼のかかわった作品として世界レベルの知名度へと成長しました。
さらに1957年、彼はニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に任命されたのです。
その後、ニューヨークフィルを率いて中南米のツアーやヨーロッパ、さらには冷戦下のソヴィエト連邦にわたって演奏会を開くなど世界レベルの活躍をし、この実績により1966年、バーンスタインはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮を担当するようになり、マーラーの再評価に貢献しました。
日本にも1985年に訪れており、広島で「広島平和コンサート」を開催するなど音楽の才能を生かした人道主義による活動も盛んに行っていますが、1980年代後半から自身の肺がんが悪化していき、それをひた隠しながら精力的に指揮を続けましたが、1990年、日本でのツアー途中に病状が悪化し、途中帰国します。
無理を押してボストンの演奏で指揮を務めた後、同年の10月に亡くなりました。
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バーンスタインの代表曲
レナードバーンスタインは、指揮者として有名ですが、作曲家としても非常に良い作品を残しています。
現在では当たり前のようにある多様な音楽形式の融合などは、当時では理解されにくいものであったと思いますが、バーンスタインはミュージカル音楽などに織り交ぜ、天才にしか成しえない作品を残しています。
ミュージカル | ウエスト・サイド物語 キャンディード オン・ザ・タウン |
オペラ | タヒチの騒動 |
交響曲 | 交響曲第1番「エレミア」 交響曲第2番「不安の時代」 交響曲第3番「カディッシュ」 |
バレエ音楽 | ファンシー・フリー ファクシミリ ディバック |
バーンスタインの名演
レナード・バーンスタインの名演・名盤
レナード・バーンスタインの指揮による名盤CDと、同氏の作曲した交響曲の代表的な楽曲を収録した1枚を紹介していきましょう。
・マーラー 交響曲第9番 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1979年にレナード・バーンスタインが生涯で唯一共演したベルリンフィルとの演奏が収録された一枚です。
当事帝王カラヤンの牙城であったベルリンで、まったくのアウェイでありながらも素晴らしい演奏を残した伝説的な指揮者といわれています。
演奏前のリハーサルに多くの時間を割き、カラヤンとベルリンフィルのレコーディングのスケジュールを遅らせるという事件もあった演奏会でしたが、バーンスタイン渾身の指揮を発揮した演奏でもありました。
両者の相反する個性のぶつかり合いはそのままマーラー音楽に反映され、演奏が進むにつれてそれが融合されていく様子がわかります。
そして、最後の第4楽章で断末魔のような雰囲気すら感じさせる2枚組に仕上がっています。
・ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」、「レオノーレ」序曲第3番
1978年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で収録した一枚です。
円熟期のバーンスタインが指揮し、若かりしころの感情を前面に出した演奏とは一線を画す内容です。
しかし、それが良い意味で深みを与え、しなやかなウィーンフィルの演奏とマッチし、力強いながらもどこからかスムーズに体へ入り込んでくサウンドに仕上がっている印象を受けます。
ベートーヴェンの壮大な交響曲である「英雄」をレナード・バーンスタインがさらに壮大なものとして聴者を惹きつける一枚といえるでしょう。
1980年度レコード・アカデミー大賞を受賞したベートーヴェン全集の中でも特に評価の高いディスクです。
・バーンスタイン:交響曲第3番《カディッシュ》、《ディバック》第2組曲
レナード・バーンスタイン自身が作曲活動に専念していたころ、ケネディ大統領が暗殺されたことで強い影響を与えた自身3作目の交響曲がカディッシュ(聖なるもの)です。
ユダヤ教における祈りの歌に付けられるタイトルを自身の交響曲に命名した経緯があります。
指揮者としてのキャリアを歩みつつ、生み出した3つの交響曲のうちの最後の1つであり、全体にレナード・バーンスタイン自身のルーツであるユダヤ的な雰囲気を湛えています。
ケネディ大統領に対するレクイエムとしてささげられている背景もあり、全体的に落ち着いた、深遠な交響曲です。
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レナード・バーンスタインの紹介動画
音楽家、車田和寿氏による天才指揮者「バーンスタイン」の魅力の紹介動画です。
素晴らしく分かりやすい内容となっています。
是非一度ご視聴してみて下さい。
バーンスタインの人気動画
「ウエスト・サイド・ストーリー」からシンフォニック・ダンス 1976
バーンスタインの「ウェストサイド物語」シンフォニック・ダンス(1976年)は、同名のミュージカルをオーケストラで表現したものです。
ミュージカルナンバー「プロローグ」「サムウェア」「スケルツォ」「マンボ」「チャチャ」「出会いの場面(クール)(フーガ)」「ランブル」「フィナーレ」の8つのセクションから構成されています。
この曲は、クラシック音楽とジャズやポピュラー音楽を融合させたバーンスタインの卓越した能力を示すものである。エネルギーと感情に満ち溢れ、ミュージカルの精神を捉えた美しく勝利に満ちたフィナーレが特徴です。
ラプソディー・イン・ブルー 1976
「ラプソディ・イン・ブルー」は、1924年にジョージ・ガーシュインが作曲した楽曲で、ポール・ホワイトマンの委嘱により作られました。
この曲は、クラシック音楽の要素にジャズ風のリズムとハーモニーを加えたものである。この曲は、ホワイトマンのオーケストラとガーシュウィン自身のピアノによって初演されました。
1958年、レナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルを指揮し、「ラプソディ・イン・ブルー」の最初の完全なオーケストラバージョンを演奏し、この曲がジャズの音楽性を持ちつつ普遍的でクラシカルな音楽であるということを決定づけました。
バーンスタインの解釈は、そのエネルギーと活力で有名であり、この曲の最も影響力のあるバージョンの1つと考えられており、バーンスタインのバージョンはコロンビアレコードから録音・発売され、この曲の最も人気のある録音の1つとなっています。
キャンディード序曲
キャンディード序曲は、1956年にレナード・バーンスタインがブロードウェイミュージカル『キャンディード』のために作曲したミュージカル序曲です。
このミュージカルは、ヴォルテールの「カンディード」の風刺小説を舞台化したもので、序曲は、この物語に見られる冒険心を表現するために作られました。
この序曲は、コンサートホールで単独で演奏されることが多く、ダイナミックでドラマチックな曲として有名です。
ホルン、弦楽器、木管楽器、打楽器による生き生きとした力強いオーケストレーションが特徴で、非常にエネルギッシュでアップビートな曲です。ドライブ感のあるリズムと楽観的な音楽が特徴で、コンサートやバレエ公演のオープニングに最適な曲です。
キャンディード」序曲は、バーンスタイン独特のスタイルとエネルギーを示す典型例として、映画やテレビでも使用されています。
異なる音楽スタイルを融合させ、魅惑的で印象的な楽曲を作り上げたバーンスタインの能力を示す好例です。
レナード・バーンスタイン死去 リハーサル風景 シューマン 1990音楽ハイライト
バーンスタイン&BBC交響楽団リハーサル・ドキュメンタリー ~エルガー:創作主題による変奏曲「エニグマ」
ベルリン祝祭コンサート1989 ベートーヴェン交響曲第9番
レナード・バーンスタインの1989年のベートーヴェンの交響曲第9番のベルリン・フェスティバル・コンサートは、歴史的なイベントで、ベルリンの壁崩壊を祝うものでした。
バーンスタインとベルリン フィルハーモニー管弦楽団は、ベートーヴェンの交響曲第 9 番の演奏を指揮し、フィナーレでは東西ドイツのソリストと、分断された都市の両側からの合唱団をフィーチャーしました。
パフォーマンスはテレビで生放送され、世界中で推定19 億人の視聴者が視聴したと言います。
喜びに満ちた演奏は、平和と団結の象徴と見なされ、「自由の音楽祭典」と表現されてきました。
バーンスタインは彼の演奏で英雄として称賛され、コンサートはクラシック音楽の歴史の中で最も重要なイベントの 1 つとして記憶されています。
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