ドミートリイ・ショスタコーヴィチ
ショスタコーヴィチ(ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ 1906~1975年)は、ソビエト音楽界のパイオニアとして知られており、19世紀で最も影響力のある作曲家の一人です。
当時のソヴィエト連邦政府と関係の深いプロパガンダ的な人物ではありましたが、1926年に発表した交響曲第1番の初演によって世界的な作曲家として知られるようになりました。
事実、暗く重厚感のある雰囲気をたたえつつも、鋭い対比の表現によって交響曲第5番、第7番、弦楽四重奏曲第8番など多くの名曲を生み出しています。
その反面、自身のプロバガンダ作曲家としての立ち位置と求める音楽性との葛藤に生涯悩まされた興味深い人物です。
ショスタコーヴィチは前衛的であり、近代のクラシック音楽を代表する人物の一人とされていますが、実際には彼は非常に多様な方法、和声的な法則や自由な形式、オーソドックスな旋律の融合を備えた非常に原則的なアプローチを使用していました。
印象派活動やリアリズム的な形式とは異なり、シャープなコントラストから着想を得た極めて簡潔な構造の中にも、ジャズ及び歌曲様式の流行をも受け入れている作品もあり、ショスタコーヴィチ独自の音楽芸術を創造しています。
ショスタコーヴィチの生涯
ショスタコーヴィチは、1906年ロシア帝国サンクトペテルブルクのポドルスカヤ通りに住むロシア人一家の3人きょうだいの2番目として誕生しました。
9歳の頃から母親の手ほどきでピアノのレッスンを始め、シドルフスカヤ商業学校に入学、ボリシェヴィキの水兵によって殺害されたカデット党の指導者2人を追悼する葬送行進曲を作曲しています。
このように幼少の頃から音楽的な才能を発揮したショスタコーヴィチは13歳でペトログラード音楽院に入学しました。
そこでショスタコーヴィチは、当時一流の音楽家であったレオニード・ニコラエフとエレナ・ロザノワ、マクシミリアン・シュタインベルク、ニコライ・ソコロフ、そして学長でもあったアレクサンダー・グラズノフに師事します。
16歳の頃に父を失うものの、学業を続けることができたため19歳でニコライ・マルコの指揮クラスに入学し、同年にはモスクワで初めてショスタコーヴィチの音楽が演奏されましたが、当時の批評は冷ややかな物だったようです。
しかし、このクラスでの卒業制作として交響曲第1番を作曲し、初演では大きな評価を受け、大学院に進学しました。
音楽院を卒業後はバレエ音楽を作曲し、「黄金時代」や「ボルト」などを発表しますが、いずれも芳しい評判ではなかったようです。このような中であっても私生活は充実し、26歳の頃に科学者ニーナ・ヴァルザルと結婚します。
同時にTRAM(労働者青年劇場)とも強いかかわりを持つようになり、共産主義者としても活動を開始していました。
このキャリアから作曲家同盟レニングラード支部の運営委員に選出され、軽音楽に関するレニングラード市の委員会の委員になるなど音楽と政治とのつながりを深めていくことになります。
当時スターリンによる大粛清によって、友人や親せきが投獄や殺害されるという悲劇に直面し、自身も共産党幹部との関わりを誤り、コンサートを拒否されるなど政治的な圧力を加えられました。
これがショスタコーヴィチの音楽に深い影を落としたと言われており、加えて当時作曲していた交響曲第4番の断念など、挫折を経験しています。
辛い時期が続きますが、31歳になったショスタコーヴィチはレニングラード音楽院に講師として勤務し、長女を儲けるなど徐々に落ち着きを取り戻します。さらにショスタコーヴィチの代表作である交響曲第5番を作曲、初演し、これが驚異的な成功を収めました。
この交響曲第5番の成功によって共産党からの評価も高まり、再び政治とのつながりを深めていったのです。
事実、33歳の頃にはムソルグスキー生誕100周年記念祭の準備委員会の委員長となり、ソヴィエトにおける音楽の権威者の1人となるとともにレニングラード音楽院の教授にも就任しました。
第二次世界大戦が始まると、レニングラードにとどまりラジオ放送を通じてソ連国民に対しプロバガンダ活動を開始しますが、ナチスドイツの激しい侵攻によってレニングラードが包囲され、深刻な状況になります。
このような絶望的状況の中でも国民を鼓舞するために作曲活動を続け、ショスタコーヴィチの代表作として知られる交響曲第7番が誕生したのです。
そして、翌年には交響曲第7番がスターリン賞第1席受賞し、政府から再び高い評価を得て、首都モスクワのモスクワ音楽院教授に就任しました。
戦後も政治とのつながりは深く続き、41歳にして作曲家同盟レニングラード支部の支部長に選出され、さらにロシア共和国最高議会代議員に選出されました。
ただ、翌年政府の方針に反する存在として再び糾弾され、教授職など公職を追放されたのです。
このような中、ショスタコーヴィチは世界平和文化科学会議出席のためアメリカへ向かうなど活動の場を国外に移す試みをします。
さらにオラトリオ「森の歌」によって再び高い評価を受け、44歳になるころにはソヴィエト平和擁護委員会の委員となって公職に復帰しました。
それ以降はソ連の音楽外交を担う人物として、オーストリアなどヨーロッパを歴訪します。
交響曲第10番の作曲など作曲活動と並行して、政治、外交にも関わるようになり、アメリカなど西側諸国にも代表団の一員として派遣されました。
ただ、50歳を過ぎたころから持病の右手のマヒが悪化し、たびたび手術をします。
それでも、正式にソビエト共産党員となることを条件にしてレニングラード音楽院の大学院で教職に復帰し、長らく作曲を断念していた交響曲第4番の初演にもこぎつけます。
教職への復帰や第4番の完成といった彼岸男⒲達成した後も政治や外交活動へ積極的に参加し、各国から勲章や名誉職の授与を受けていきました。
ショスタコーヴィチの名盤
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番 インバル(指揮)東京都交響楽団
2012年にライブ録音された比較的最近の一枚です。
海外でも多く演奏されているショスタコーヴィチの楽曲ですが、国内オーケストラによるハイクオリティの録音がされている点でおすすめできます。
演奏によっては重々しく暗い曲調になりがちなショスタコーヴィチの作品ですが、東京都交響楽団とイスラエルの名指揮者エリアフ・インバルとのタッグにより軽やかで聞きやすい内容となっているのが特徴です。
そのため、ショスタコーヴィチ初心者の方が最初に聞く一枚として最適かもしれません。
・ショスタコーヴィチ:交響曲第7番&第9番 バーンスタイン(指揮)シカゴ交響楽団
名指揮者としてクラシックファン以外にも知名度の高いバーンスタインとシカゴ交響楽団の演奏による名盤です。
1991年にはグラミー賞を受賞している実績だけでなく、デジタル録音による高い音質やシカゴ交響楽団の力強い演奏も注目です。
そしてバーンスタインの深みを感じさせる指揮は、ショスタコーヴィチの定番ディスクといっても過言ではありません。
・Shostakovich / Russian National Orchestra / Jarvi – Symphony No. 7(パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)ロシア・ナショナル管弦楽団)
最後が本場ロシアの演奏指揮による一枚です。
2014年録音の比較的新しい一枚のため、より高音質でダイナミックな演奏が楽しめます。
指揮を務めるパーヴォ・ヤルヴィはショスタコーヴィチの指揮で定評があったネーメ・ヤルヴィの息子であり、父に迫る表現を行っています。
ショスタコーヴィチの楽曲にリズム感とスリリングさを与え、大きなスケールで重厚感のある表現が感じられます。
もちろん、こういった表現ができるのもロシアトップクラスのオーケストラであるロシア・ナショナル管弦楽団の実力があってのものです。
歴史的背景などを含めた厚みある演奏が楽しめるでしょう。
ショスタコーヴィチの代表曲
ドミートリイ・ショスタコーヴィチの代表作は交響曲を中心としており、重い雰囲気の曲調ものが多く、陰鬱な印象を持たれてしまうことが多いですが、スケールの大きさと重厚さがあり、えもいえぬ美しさがあります。また、一方ではポピュラーミュージックなどにも関心があり、ジャズ風な作品も残しています。
弦楽器や小管楽器のための叙情的な主旋律が特徴で、神秘的でなんとも言えない哀愁が多く含まれており、壮大なスケールと繊細なレイヤーの重なり合わさった独特なテクスチャーのバランスが施されています。作品に埋め込まれたリズミカルでキャッチーな旋律が際立つこともあり、さまざまな印象的な瞬間を感じることができます。
管弦楽作品では、後の作曲家たちの作品に大きな影響を来たしたモダンな音楽に通ずる考え方を提示しながらも、従来のクラシック音楽理論にも確かな芯を持っている点も代表曲の特徴と言えます。
交響曲 | 交響曲第1番 ヘ短調 作品10 交響曲第4番 ハ短調 作品43 3 交響曲第5番 ニ短調 作品47 交響曲第4番 ハ短調 作品43 交響曲第6番 ロ短調 作品54 交響曲第7番 ハ長調 「レニングラード」 作品60 交響曲第8番 ハ短調 作品65 1 交響曲第9番 変ホ長調 作品70 交響曲第10番 ホ短調 作品93 交響曲第12番 ニ短調 作品112「1917年」 交響曲第13番 変ロ短調 「バビ・ヤール」 作品113 交響曲第14番 2 交響曲第15番 イ長調 作品141 |
管弦楽曲 | ジャズ組曲 ジャズ・オーケストラのための第2組曲 |
吹奏楽曲 | 祝典序曲 |
協奏曲 | ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 作品77 ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35 チェロ協奏曲第1番 変ホ長調 作品107 チェロ協奏曲第2番 ト短調 作品126 |
室内楽曲 | 弦楽四重奏曲第8番 ハ短調 作品110 チェロソナタ ニ短調 作品40 |
オペラ | ムツェンスク郡のマクベス夫人 作品29 |
オラトリオ | 森の歌 作品81 |
ピアノ曲 | 24の前奏曲とフーガ 作品87 |
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ショスタコーヴィチの名曲
ショスタコーヴィチの名曲1 交響曲第5番ニ短調作品47
「交響曲第5番ニ短調作品47」は、ショスタコーヴィチの芸術的心情を感じられる有名な交響曲であり、彼のもっとも有名な曲です。
この曲は、冒頭の弦楽器の主題から大変印象的で独自のインパクトを持っています。
冒頭後の落ち着いた曲の流れからも、強烈な印象を残す前衛的で変則的な構成がみられ、繰り返される迫力あるパワフルなリズム群やメロディックで情感豊かな即興的な曲調は圧巻です。
この楽曲は冒頭からして異色であり、深い重厚感がありながらも確かな線形的な独奏、そして柔らかで静謐な流れからの強烈な展開などもあり、非常に聴きごたえがありますが、この曲でも特に有名な第4楽章では、金管楽器群の重低音の迫力とともに力強い壮大なテーマが押し寄せ、まさしくクライマックス的な盛り上がりでダイナミックに締めます。
楽曲全体として、特筆すべき審美性と精妙な要素を結び付けることができます。
ショスタコーヴィチは、作品の中で婉曲的なメロディを敏感に表現しており、優雅なメロディとホルンやコントラバスの前衛的な組み合わせによる聴衆を魅了するような溢れるエネルギーを伴っています。
「交響曲第5番ニ短調作品47」は、表現力豊かでユニークなコンテンポラリーなモノローグを提示しており、創造性を失わない素晴らしい楽曲構成を持っている点で、プログレッシヴなクラシック作品として音楽史上に名曲として残される傑作です。
ショスタコーヴィチの名曲2 交響曲第7番ハ長調「レニングラード」作品60
ドミートリィ・ショスタコーヴィチの交響曲第7番 ハ長調 レニングラードは、1942年に初演された作品です。
ショスタコーヴィチ曰く「私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」と表明したことで、「レニングラード」と呼ばれるようになりました。
この曲は、第二次世界大戦のさなかに、戦争をテーマとしてショスタコーヴィチが作曲した戦争三部作の作品として知られており、壮大で勇壮でありながらも、軍歌のような明るく明快なメロディを提示しています。長大な展開部には、ラヴェルの「ボレロ」に影響を受けたと思わせるものがありますが、その中にはショスタコーヴィチの新しい表現方法が含まれているため、新しい時代を迎えるような希望を感じさせます。
レニングラードは4楽章で構成されており、ショスタコーヴィチの交響曲としては珍しく、いずれの楽章も完結しているという点を特徴に持ちます。
全楽章を通して、ショスタコーヴィチは市民の権利の強い呼び掛けを表現し、ナチス・ドイツ軍に包囲された戦い「レニングラード包囲網」の大胆なイデオロギーを表現しています。
また、強力なリズムとドラマチックな展開により、この作品はオーケストラの限界を突き詰め、レニングラード民衆の抵抗姿勢を明示しています。
ショスタコーヴィチの交響曲第7番 ハ長調 「レニングラード」は、戦争時の激しさを感じさせる衝撃的な曲調と反対に希望と勝利を表現した楽器隊を扱ったフレーズなどの美しさから、クラシック音楽史に大きな影響を与えてきた名曲です。
ショスタコーヴィチの名曲3 交響曲第10番 ホ短調 作品93
交響曲第10番は、スターリンの独裁時代の暗黒時代に作曲されたものであり、ショスタコーヴィチが政府の圧力や非難に耐えていた時期に作曲した前作である第9番が政府の期待に応えられなかったことから多くの批判を受け、自身の音楽活動において自由を制限されることになったため、9番の発表から10番の発表までに約8年もの年月が必要になりました。
ショスタコーヴィチの個人的な苦悩と、スターリン政権時代の恐怖と抑圧のへの抵抗の表現として解釈されることがありますが、その音楽は厳粛であり、苦悩と絶望を感じさせる要素があると同時に希望や勇気も示唆しています。
交響曲第10番は、戦争三部作(交響曲第8番・9番・10番)の完結編であり、ショスタコーヴィチの作品の中でも重要な作品の一つとなっています。
この曲は4つの楽章から構成されています。
第1楽章モデラートは物静かでどこか不気味とも言える荘厳な順序演奏で徐々始まり、重要なテーマが示唆されるように緊張感と暗鬱な雰囲気を醸し出しています。
第2楽章はスケルツォと呼ばれる急速な展開このメロディーはショスタコーヴィチの特徴的なアイロニーと風刺の要素を含んでおり、不穏な雰囲気を漂わせます。
第3楽章は、ショスタコーヴィチの他の作品でもよく見られる、静かな悲しみや哀愁を感じさせるような穏やかな夜想曲のような性格を持ち、美しい旋律や繊細な管楽器のソロが印象的です。
第4楽章ははショスタコーヴィチの抒情的な側面を反映しており、彼の内面の葛藤とクライマックスである圧倒的な力強さと勇壮さを持っている楽章です。
交響曲第10番は、ショスタコーヴィチの音楽的な表現力と妥協性を示す傑作であり、彼の作曲スタイルの特徴や個性を理解する上で重要な曲と言えます。
ショスタコーヴィチの名曲4 交響曲第13番 変ロ短調 「バビ・ヤール」 作品113
ドミートリイ・ショスタコーヴィチの交響曲第13番は、彼の最も重要な作品の一つであり、1962年に作曲されました。この交響曲は通常、「バービイ・ヤールの歌」として知られています。
交響曲第13番は、ショスタコーヴィチが詩人エフゲニー・エフトゥシェンコによって書かれた詩「バービイ・ヤール」を基に作曲されました。この詩は、ナチス・ドイツによるホロコーストで殺害されたユダヤ人の犠牲者に捧げられており、作品全体が深い悲しみと苦悩を伝えています。
この交響曲は、ショスタコーヴィチの交響曲の中でも大変重要な意味を持っており、彼の社会的・政治的な批評の一環として捉えられることがあります。作品は暗く陰鬱な雰囲気を持ち、ユーモアや明るさはほとんど見られません。その代わりに、深い哲学的なテーマと強烈な感情表現が特徴です。
バス独唱とバス合唱の男声のみの合唱、オーケストラのために書かれており、5つの楽章からなります。各楽章は、エフトゥシェンコの詩に基づいており、戦争、抑圧、虐殺などに対する皮肉や困難に耐え忍ぶ様、恐怖などのテーマが扱われています。
交響曲第13番は、その重要性と音楽的な力強さから、ショスタコーヴィチの最も偉大な作品の一つと見なされています。この作品は、ユダヤ人虐殺の悲劇を追悼し、戦争や人間の苦悩に対する深い洞察を示しており、ショスタコーヴィチの音楽の中でも特に感情的で聴衆に強い印象を与える作品として知られています。
ショスタコーヴィチの名曲5 交響曲第4番 ハ短調 作品43
「交響曲第4番 ハ短調 作品43」は、ショスタコーヴィチが1935年から1936年にかけて作曲した重要な交響曲の一つです。この作品は、ショスタコーヴィチのキャリアの中でも特筆すべきものであり、彼の音楽の進化と個性を示すものとして重要視されています。
弦楽器、木管楽器、金管楽器、打楽器などの広範なオーケストラ編成を用いた大規模な作品で、ハ短調の暗い調性を基盤にしながらも、多様な音楽的要素が組み合わさり、情熱的な表現と複雑な音楽構造を持っています。
この交響曲は、ショスタコーヴィチの創造力と音楽的な実験精神を反映しており、このチャレンジにより独自の作風が確立されたと考えられています。ショスタコービチの苦悩や内面の葛藤が作品に反映されており、時には厳しい現実や政治的圧力に対する抵抗も表現されているため、スターリン政権下での芸術家の自由への圧力(プラウダ批判)によって初演は中止に追い込まれています。
「交響曲第4番」は、3つの楽章から成り立っています。
第1楽章は提示部に第3主題まであるブルックナーにも似た複雑で巨大な楽章です。展開部ではプレストがおかれ、主題が急加速で爆発的に盛り上がりを見せるところが非常に印象的です。
第2楽章はスケルツォを中心とした楽章で、柔らかなメロディと静謐な雰囲気を持ち、情感的な表現が際立っています。第3楽章では、マーラーを彷彿させるような葬送行進曲風の序奏で始まり、ティンパニのリズムとコントラバスの響きに乗り、おどけたようなファゴットが第1主題を奏でますがオーボエ、クラリネットに続き、次第に金管楽器の重厚な演奏が増大して主題の頂点に達します。一転して気の緩んだような能天気な音が流れるなど、曲調の展開がめまぐるしく行われる楽章です。
「交響曲第4番」は、ショスタコーヴィチの音楽的な成熟と革新を示す作品でありながら、その難解さや政治的な背景も含めて理解が難しい作品とされています。初演は長い間延期され、1961年にようやく初めて演奏されました。しかし、その後の評価では高く評価され、ショスタコーヴィチの代表作の一つとして認識されています。
ショスタコーヴィチの名曲6 交響曲第6番 ロ短調 作品54
交響曲第6番 ロ短調 作品54は、ショスタコーヴィチが1939年に作曲し、同年11月にレニングラードで世界初演された作品です。
この交響曲は、彼のキャリアにおいて重要な転換点を示すものであり、第5交響曲の成功後、ソビエト社会の厳しい現実の中で創作活動を続ける彼の決意を反映しています。全体としては約30分の演奏時間で、非伝統的な三楽章構成を採用しており、その形式と内容の両方で実験的な試みが見られます。
第1楽章「ラルゴ」は、深い感情と緊張感を帯びた長い緩徐楽章で、ショスタコーヴィチの内面的な葛藤や苦悩を音楽的に表現しています。この楽章は、ソビエト社会の粛清が続く中、友人や知人が次々と逮捕・処刑されるという恐怖の中で作曲されました。ショスタコーヴィチの音楽は、こうした社会的・政治的状況に対する彼の反応として解釈することができます。
第2楽章「アレグロ」は、スケルツォ楽章で、より軽快で皮肉な音楽が展開されます。この楽章は、第1楽章の重厚な雰囲気から一転して、生命力に満ちたエネルギッシュな音楽へと移り変わります。ショスタコーヴィチは、この楽章を通して、抑圧された社会の中での人々の生きる力や抵抗の意志を音楽的に表現しています。
最終楽章「プレスト」は、ロッシーニを彷彿とさせる勢いのあるギャロップで、この楽章では、前の二楽章とは異なる、より明るく希望に満ちた音楽が展開されます。ショスタコーヴィチは、この楽章を通して、春や青春の喜び、抒情的な美しさを表現し、苦難を乗り越えて前進する力と希望を音楽に込めました。
交響曲第6番はショスタコーヴィチの音楽が持つ深い感情的な幅と、彼の創造性の豊かさを示す作品です。非伝統的な構成と音楽的表現を通じて、ショスタコーヴィチは自身の内面世界と外部世界との複雑な関係を探求し、その結果として独自の音楽的言語を確立しました。この交響曲は、彼の音楽が時代を超えて多くの人々に影響を与え続ける理由の一つとなっています。
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